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“日記”と銘打ちながら「全然日記じゃないじゃん。」というツッコミはさておいて……、必要に迫られて社会心理学なるものを勉強し始めた。勉強し始めたのはいいのだが、参考書選びに失敗するととんでもないことになることに気がついた。例えばこんな感じ。
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社会心理学とパーソナリティ:人間−状況論争の経緯
…… Mischel(1968)は、特性論や精神力動論の主張する性格概念が、行動から仮説的に構成されたものであるにもかかわらず内的実体として扱われてきたこと、質問紙法や投影法による測定結果と現実の行動評定との相関がせいぜい
20-30 しかないことを指摘し、社会的学習論の立場から尺度研究を主体とするパーソナリティ研究に疑問を投げかけた。Mischel
の批判は、1)行動の通状況的一貫性への疑問、2)行動の規定因としての状況変数の軽視、3)測定道具による行動予測の有用性への疑問、4)特性の内的実在性への疑問、という4点を骨子としていた(Pervin,1978)。この批判をきっかけに、「人間−状況論争」あるいは「一貫性論争」と呼ばれる論争が生起し、特性概念の妥当性や、行動の決定因が「人」の側にあるのか「状況」にあるのか、また人の行動には状況を越えた一貫性があるのか、などといった問題について、方法論的な反省を含めた活発な論議が行われた。この論争は、約
20 年の間様々な立場の研究者を巻き込みながら続けられた。
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ねっ、何回読んでもわからないでしょ?(^o^) ここからマジメに何か“意味あること”を見つけ出そうとしたりなんかすると、だんだんと気が滅入ってきて「いかんいかん、なぜに私は心理学を勉強しながら気が滅入らねばならんのだ。」と頭を振ることになる。
そこでこう考えることにした。これは筆者自身が論の中に“意味を見出せていない”から読者にも“意味”が通じないのだと。だから悪いのは筆者で、けして(頭の悪い)私ではない。「読書百遍、意自ずから通ず」が通じるのは、そこにあらかじめ“意”がある時のみだと。(やぁ議会の傍聴しててよかった。)
さらに、最近ではこういう“いかにも”という文章を前に「う〜む、こんなわけのわからんことでよく20年も論争を続けることができたな。」と軽くチャチを入れることができるようにもなってきた。
で、社会心理学。別な筆者によると
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社会心理学−人間科学の礎
……社会心理学は、パーソナリティ・社会・文化の3視点を有機的に統合させて人間現象を理解する科学であると筆者は考える。
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「わかった!」とは言い難いけれど(これは私の問題)、ちょっと血が通ってきた感じはするかな。
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