日々雑感

目次

2007.07.09

【雑感】うん、がんばろうっと。

2007.04.21

【雑感】武器よさらば

2007.04.10

【雑感】傾聴

2007.02.12

【雑感】がんばれ! ふすま障子!

2007.01.06

【雑感】一富士、二鷹、三……

2006.12.30

【雑感】修身に学ぶ

2006.12.27

【雑感】お正月

2006.11.20

【思い出】たんぼ

2006.11.16

【雑感】うつくしい国へ

2006.10.30

【雑感】いばってんの? いばってんの。

2006.10.26

【雑感】ロビーにて

2006.09.27

【雑感】路上でちくわぶ

2006.09.17

【雑感】うるさくてごめん、だけど……

2006.08.31

【雑感】文化の共有

2006.08.24

【雑感】深淵なるギョーカイ用語

2006.07.10

【教訓】あひるの行列

2006.06.26

【雑感】メキシカンなパッション?

2006.06.13

【雑感】イマジネーション、GO! GO!

2006.06.10

【雑感】ナスとキュウリ? ちがう、ちがう。

2006.06.05

【雑感】君の名は……

2006.05.29

【雑感】圓生が泣いている

2006.05.27

【雑感】1万分の1地図

2006.04.24

【雑感】所変われば……

2006.04.14

【雑感】一文字ちがっても……

2006.04.04

【雑感】春の珍事

2006.03.27

【思い出】ちくしょう騒動

2006.03.22

【雑感】どっちをパパラッチ?

2006.03.07

【雑感】表層面だけ伝えても……

2006.03.01

【思い出】追憶にまた思う

2006.02.20

【小話】笑っちゃだめよ

2006.02.16

【自転車のすすめ その5】地名と地形が骨身に沁みる

2006.02.12

【小話】つながりがあるような、ないような

2006.02.07

【雑感】私の気をそぐもの

2005.12.26

【雑感】ラー油を片手に考えたこと

2005.11.10

【自転車のすすめ その4】よみがえる標語
2005.10.14 【自転車のすすめ その3】
  サドルからの視点 〜日本の歩道は走りにくい〜
2005.10.08 【思い出】希望する不等式
2005.10.01 【自転車のすすめ その2】自転車の選び方
2005.09.23 【自転車のすすめ その1】きっかけはママチャリ
2005.09.12 【雑感】塩をなめてはいけない
2005.09.06 【雑感】納豆の糸のゆくへ
2005.08.29 【私のこだわり】A4レターケース
2005.08.26 【私のこだわり】
2005.08.25 【読書日記】『ソロモンの指環』
2005.08.24 【思い出】無尽蔵


2007.07.09 【雑感】うん、がんばろうっと。 ▲TOPメニュー

 ものすご〜くつらいことがあった時、次のようにつぶやいて自分を元気づけるようにしている。

 

「ゴキブリはね、散歩してるだけで殺されちゃうんだよ。」



2007.04.21 【雑感】武器よさらば ▲TOPメニュー

 なんだか世の中がドンパチドンパチ“たまの取り合い”でかまびすしい。言っとくけど、女にも“たま”はあって、ご存知、

“肝っ玉”(つ、つ、強いし、怖いよ〜。(^o^))

 だけど、どうやら“たま”は正式には“魂”と書くらしく、それならばニコッと微笑んで“魂”の取り合いをしてもいいわけだよね。そこんとこよろしく。



2007.04.10 【雑感】傾聴 ▲TOPメニュー

 カウンセリングの基本はやっぱり“傾聴”だと思う。だから、研鑽を積むべく電車やバスの中では、なるべく若い子たちのそばに座り、寝ているフリをしながら話しに耳を傾けるようにしている。しかし、思わずプッと吹いてしまうような話しもあって、なかなかこれが難しい。例えばこんな感じ。


その1

「今日、先生が『コミュニケーションが大事だ。』って言ってたじゃん。で、結局コミュニケーションって何すんだろうな?」

その2

「オレの友だちさぁ、中学生の頃から馬券買ってるから“金持ち”なんだ。」


 いずれも、よ〜く考えると大変深い問いかけで、正式に相談された場合にはかえってリアクションに困るような気がする。



2007.02.12 【雑感】がんばれ! ふすま障子! ▲TOPメニュー

 3年あまりをかけて追いかけてきた議員の会議出席手当である費用弁償が、いよいよ廃止されることになりそうです。来年度予算には計上されていないので、実質廃止です。だけど、私が見たいのは、そんな“市民の目の届かない場所での決まりごと”ではなく、議案がちゃんと提案理由とともに議会に提出されて、それが(願わくば)全会派一致して可決される瞬間なのです。

 だから、統一地方選挙を前にしたこの時期、ところどころで風にはためく候補者名を記したのぼり旗を目にするとつい、

「費用弁償廃止議案はいつ提出されるのだろう?」
「この議員は賛成してくれるかなぁ?」

なんて思ってしまいます。

 そんな思いで日々を過ごす中、先日みかけたのが

  ふすま障子 なるのぼり旗。

 あれっ、新人さんかな? どこの政党の人だろう? と選挙事務所らしき建物を覗いてみたら、建具屋さんでした。いや、ほんとなんすから。(^_^;

 あまりの勘違いぶりに自分で笑ってしまったのですが、しかし“ふすま障子”を、“ふすましょうこ”と読んでみるとちょっとは意味が出てくるかもと思ったのでありました。

がんばれ! ふすま障子!

 だって「子」がついてるんだもん。

費用弁償

詳細については 市議会の問題点:費用弁償編 をご覧下さい。



2007.01.06 【雑感】一富士、二鷹、三…… ▲TOPメニュー

 お正月、久しぶりに母の家へ泊まりに行ってきました。母は70歳を迎えんとするお年なのに、なぜかヒョウ柄が大好きです。お正月だろうが、クリスマスだろうが、娘がいようが孫がいっしょだろうが、身内にいくら笑われても、へ〜きでヒョウ柄を着ます。

 そんな母が夜になって用意してくれた寝具のシーツが、これまたヒョウが一頭横たわっているのかと思わんばかりの見事なヒョウ柄でした。

 元旦の夜にはほんの少しにせよ一年の計を考え、それから初夢は……というタイプの私としては、かなり愕然としたものだったのですが、それはそれとて母の愛情には変わりなく、したがいまして、寝しなの挨拶は次のようなものとなりました。

「ありがとうお母さん。初夢はアフリカにするね。」



2006.12.30 【雑感】修身に学ぶ ▲TOPメニュー

 年の瀬も押し迫った一夜、来し方を振り返り、行く末を案じながら、ある学習会でいただいた資料の「修身」を紐解いてみました。

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国民学校初等科修身(一) 三年生用

一 み國(国)のはじめ

 遠い大昔のこと、いざなぎのみこと、いざなみのみことといふ、お二方の~様(神様)がいらっしゃいました。

 このお二方が、天{あま}の浮橋{うきはし}にお立ちになって、天のぬぼこといふほこをおろして、海の水をかきまはしながら、おあげになりました。すると、ほこの先から、海の水のしづくがしたたり落ちて、一つの島となりました。

 お二方は、この島におくだりになって、ごてんをお作りになりました。さうして、次々と、たくさんの島をお生みになりました。日本の國は、かうして、できあがって行きました。

 國ができあがると、今度は、たくさんの~様をお生みになりました。

 天照大~{あまてらすおほみかみ}が、お生まれになりました。いざなぎのみことは、たいそうお喜びになって、かけていらっしゃった御首{おんくび}かざりを、おさづけになりました。

 天照大bは、日b{ひのかみ}とも申しあげ、天皇陛下の御祖先{ごそせん}にあたらせられる、御徳{おんとく}の高い神様であります。

 伊勢{いせ}の内宮{ないくう}は、この天照大bを、おまつり申しあげたお宮であります。

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 國ができあがると、今度は、たくさんの~様をお生みになりました。

 天照大~{あまてらすおほみかみ}が、お生まれになりました。

 と、たった1行の空行をはさんだだけで、なんの接続詞もなく、さも当たり前のようにしてこの2行が並んでいるのですが、「たくさんいた神様はどこへ行っちゃったのだろう?」とか「なんで突然、一人の神様にスポットライトが当たることになっちゃうのだろう?」と考えてしまうのは、私だけでしょうか?

「なんか不自然だよなぁ。」と思いつつ、この2つの行間が気になって仕方がない私は、「もしかしたら、為政者の都合のいいように拡大解釈、編集された神話が戦争へと国民を統制するために使われたのかもしれないなぁ。」と考察し、だからこそ、「(立法過程において)同じようなトリックの使われる可能性のある国会や地方議会の動きを知ることは、とても大事なことなんだよ。」と誰にともなく語りかけてみるのでした。

 さらに調べてびっくり。天照大~って女神だったんですね。(*_*) ご存知でしたか? 私はずうっと男神(おがみ)だと思ってました。

よいお年をお迎えください。



2006.12.27 【雑感】お正月 ▲TOPメニュー

 さてさて今日は27日、♪ も〜いくつ寝るとお正月〜 ♪ というワケ(どういうワケ?)でお正月についてです。


お正月はなんでめでたいの?

「あけましておめでとうございます。」お正月を迎えますとみなさんこうおっしゃいます。去年のお正月なんぞは初詣に行った神社の境内で、会社を潰してしまった知人からこう声をかけられてあたふたしてしまいました。いやはや、何がめでたいんだか。

 しかし、調べてみるとこの知人の言動は、正しかった! そもそも、なぜお正月がめでたいかと言いますと、それはお正月になると神様がやって来て家族と共に過ごしてくれるからなんですなぁ。で、この神様というのが歳神(としがみ)様。ぶっちゃけた話がご先祖様の霊が神格化したもの。(おじいちゃんも、おばあちゃんも忙しいや。仏になってみたり、神様になってみたりと。)

 お正月というのは、この神様になったご先祖様をお迎えして旧年のお礼を申し上げ、今年の福と平和を祈念する。とまぁ、そういうことなんだそうです。

 親戚中飲めや歌えの大騒ぎの中に神様になったご先祖様も同席されていて、同じように杯を酌み交わし、歌い踊っている姿を想像してご覧なさい。例え会社が潰れたとしても、やっぱりそれはめでたいでしょ。


おせち料理

 で、この歳神様をおもてなしするための料理がおせち料理です。「でもねぇ、神様をもてなすにしては、ちょいとお粗末過ぎやしませんか?」と思ったあなたはスルドい。実は神様にかこつけて徳川幕府が民衆に贅沢をさせないようにと奨励した祝い肴なんだそうです。いや、なに、徳川幕府自身も贅沢をしていなければ、私はこの教えに異存はありません。はい。

 それぞれの品にはそれぞれ意味があって、例えば黒豆は「まめに働く」、数の子は「子孫繁栄」、田作りは「五穀豊穣」と、確かにどこか説教くさく、為政者の意図を感じます。

 ちなみにおせち料理もたくさん詰めれば良いというものではなく、一つの重箱に入れるのは三種類・五種類・七種類というように奇数種類。そして、一種類につき奇数個というように奇数で揃えます。まっ、奇数の方が割り切れず何かが残り、めでたいということなんでしょうかね。


お年玉

 子供にとってはめでたくても、大人にとって頭痛の種なのがお年玉。そもそもお年玉というのはお金とは何の縁もなくて、歳神様がやってきて、新しい歳を授けてくださるから「歳魂(としたま)」。これを形にしたものが餅。(いや、だから精神的なものを無理矢理形にしなさんなって。)

 昔は小さな丸餅を家族の数だけ神棚に供えて、これを降ろして食べた。歳神様から家長へ授けられた魂が家長から子供へ、あるいは使用人へと順繰りに渡されてゆく。これがお年玉の始まり。このようにお年玉というのは、目上の者から目下の者に渡すものなので、上司のお宅の子供にまであげる必要はないそうです。

 しかし、私、このお年玉について近頃あたまにくることがあります。それは、お正月に親戚が集まったはいいが、子供なんて一人もいやしない中で親同士がお年玉を交換し合い、それを家に帰ってから子供に配る。「ほら、○○おばちゃんからお年玉預かってきたよ。後でお礼言っとくんだよ。」そうじゃないでしょ。

 お正月の正しい子供の振る舞いとしてはですなぁ、親戚の家の門口に立ち、「おばちゃん、おじちゃん、あけましておめでとうございます。」と元気良く年始の挨拶をし、そうして、お年玉をもらいに来たわけじゃないけど、もらいに来たんだよ。という微妙なモジモジ感を出しながら玄関に突っ立っているというのがお正月の正しい子供の姿でしょ。

 どこの子供でもいい。そういうお正月の正しい子供の姿を見せてくれないかなぁ。そしたらおばちゃん、喜んでお年玉あげちゃうよ。──由緒正しき餅で。m(_ _)m



2006.11.20 【思い出】たんぼ ▲TOPメニュー

 今から三十年ほど前のお話だよ。言っとくけど横浜だよ。(^o^) だけど、まだ地域によっては、こんな風景が見られるらしいよ。思い出はどうかな……ってところだけどね。(^_-)

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 父が「東映まんが祭り」に連れて行ってくれるという。兄と私は少しだけおしゃれをして、父の支度ができるのを外で待つことにした。家から一歩出れば、辺り一面たんぼだらけ。暇をつぶすにはことかかない。

 ぴしゃぴしゃはねるどじょう、スイスイ泳ぐおたまじゃくしを眺めながら、兄と私は父が家から出てくるのを待った。

 と、畳大の板がたんぼの真ん中に打ち捨てられている。私はいや〜な予感がした。案の定、兄を見ると助走をつけてその板に飛び乗ろうとしている。「やめなよぉ!」と言おうとしたとたん、ヒョイと兄は飛んだ。

 見事な着地であった。が……一瞬だけ。ズルッと板がすべったかと思うとバシャーンで、兄はたんぼの真ん中に仰向けにひっくりかえった。

 あっけにとられた私は棒立ちで、たんぼに倒れた兄は目をパチクリ。やがて観念したように兄はむっくりと起き上がると、全身に泥をまとったまま、家に向かって歩き始めた。

 ズルッ、ビチャッ、ズルッ、ビチャッ。兄が歩くたびに不気味な音がする。
 ズルッ、ビチャッ、ズルッ、ビチャッ。ねばっこい足跡が道路に点々とつく。
 ズルッ、ビチャッ、ズルッ、ビチャッ。これは兄なんかじゃない、泥人形だ!

 泥人形を連れて歩くほど、うちの父は寛大ではない。寛大どころか短気である。兄の情けない姿を見て怒り狂った父は、東映まんが祭りの中止を宣言した。

 はぁ、とんだとばっちりを食らったもんだ。ふてくされて眺めた家の2階の窓からは、どこぞの“マヌケ”がひっくり返ったのであろう、くっきりと人型を残したたんぼが見えた。



2006.11.16 【雑感】うつくしい国へ ▲TOPメニュー

             美しい国へ と君は言ふ
             日本 答えて曰く ムリ。

             美しい国へ 君は本を捧ぐ
             日本 答えて曰く いらん。

             美しい国へ と君は問ふ
             日本 答えて曰く ……退陣。



2006.10.30 【雑感】いばってんの? いばってんの。 ▲TOPメニュー

 あのなぁ、日頃なぁ、ホームページでえらそうなことばっかり言ってるけどなぁ、

大勢の議員の前で……

コケたことがあるんだぞっ。



2006.10.26 【雑感】ロビーにて ▲TOPメニュー

 銀行のロピーのソファに座って動物図鑑を眺めながら順番待ちをしていた2才くらいの女の子とお母さんの会話。

 子ども  「ねぇねぇ、お母さん、『これは何ですか?』って聞いて。」
 お母さん 「これは何ですか?」
 子ども  「(周囲に聞こえるくらいの大きな声で)トラ〜っ!」
 お母さん 「そんなに大きな声で言うんじゃありません。」
 子ども  「(ひそひそ声で)『これは何ですか?』って聞いて。」
 お母さん 「これは何ですか?」
 子ども  「(小さな声で)ゴリラ。 『これは何ですか?』ってまた聞いて。」
 お母さん 「これは何ですか?」
 子ども  「(小さな声で)パンダ。」

という会話を順番がくるまで延々と続けていた。それを「かわいらしいなぁ。」なんて思いながら私は聞いていたのであるが、どこか議会の質疑と答弁に似ていなくもないと気づいてしまった瞬間、ちょっと複雑な気持ちになった。



2006.09.27 【雑感】路上でちくわぶ ▲TOPメニュー

 駅前の道路を歩いていたら、ちくわぶに出会った。とは言っても、もちろん、向こうからちくわぶが歩いてきたわけではなく、路上にちくわぶが転がっていただけなのであるが、たばこの吸い殻やガムなどと比べれば路上でちくわぶなぞを目にする確率は相当に低いであろうから、この瞬間を記念することにして「出会った」と表現してみた。

 そこから少し歩いたところで、今度ははんぺんに出会った。またちょっと歩いたら、今度はがんもどき。「次は何だ?」とわくわくしたところに、こんぶとだいこん。「おおっ、おでんのオンパレードじゃないか。」と思ったところで、ついに発泡スチロール製のどんぶりとコンビニ袋の登場。ここで謎が解けた。

 きっと昨夜あたり、酔っ払った誰かさんがコンビニでおでんを買い、それを歩きながら食べようとたくらんだものの千鳥足の上に手元が不如意ときたもんで、そうでなくともすべりやすい発泡スチロール製のどんぶりと格闘するうちに、おでんを路上にぶちまけるという結果にあいなったに違いない。

 なにせ最初に出会ったのがちくわぶなものだから面食らってしまったが、全体が見えてみればなんてことのない事象である。「最初に出会ったちくわぶ」が「最後に落としたちくわぶ」であっただけのことである。

 いやぁ、しかし落ちていたのがちくわぶでよかった。これが核爆弾とかだったらまったくもって笑い話にならないもの。でしょ?



2006.09.17 【雑感】うるさくてごめん、だけど…… ▲TOPメニュー

ばりばりばりばり、どがしゃーん。
ぶろろろろろろろ、ぶおん、ぶおん、ぱららら、ぱららら〜。
ひゅーどがーん。どがどがーん。

「なんだかうるせぇ文章だなぁ。」と思った、はい、そこのあなた。

厚木飛行場の爆音ってこんなもんじゃないよね?



2006.08.31 【雑感】文化の共有 ▲TOPメニュー

 次の歌詞に節をつけて歌える方は歌ってみてください。

   ♪ インドの山奥で 修行をして〜 ダイバ=ダッタの〜 ♪

というご存知(?)レインボーマンの主題歌も、今の子どもたちにはこう聞こえるに違いない。

  「ダイバーだったの?」



2006.08.24 【雑感】深淵なるギョーカイ用語 ▲TOPメニュー

 横浜市議会並びに議会事務局では一般の人にはわかりにくい業界用語が飛び交います。例えば、一般人に「ロケット君」と聞こえるのは、「予決特(よけっとく)」で「予算決算特別委員会」をちぢめた言い方ですし、同じく「三平」と聞こえるのは「三定(さんてい)」で「第三回定例会」を略したものです。

 気をつけましょう……って、どっちが?(^o^)



2006.07.10 【教訓】あひるの行列 ▲TOPメニュー

 私の高校3年の時の通信簿は、あひるの行列だった。(つまり、“2”だらけということね。)そんな通信簿を親に見せるべきかどうか、賢い兄に相談した。

 兄は、通信簿を眺め、こうつぶやいた。

「惜しいなぁ、保健体育がなきゃ、『私の高校は3段階評価です。』って言えたのに。」

 そう、なぜかたった1つ保健体育についた「4」が私のアリバイをじゃましていた。ガァ。

教訓

この成績はトラウマとなり、私は20歳過ぎまで「うわぁ、留年だ。卒業できない、どうしよう……。(T_T)」という夢に悩まされ続けることになった。だからこれに共感を覚えている学生諸君! やっぱり勉強しとこうか。といっても、もうすぐ夏休み。う〜む、2学期がんばろうね。(^o^)



2006.06.26 【雑感】メキシカンなパッション? ▲TOPメニュー

 駅前の喫茶店で「メキシカン・パッション」というコーヒーを頼んだ。名前からして当然ホットだと思っていたのに、運ばれてきたのはアイスコーヒーだった。まぁ、それはいいとして……。

「なぜ卵の黄身が入ってるんだぁ!」



2006.06.13 【雑感】イマジネーション、GO! GO! ▲TOPメニュー

 想像してみてください。

猪首{いくび}のキリン

問いかけておいてなんですが、

「できないよ。」が正解だと思う。



2006.06.10 【雑感】ナスとキュウリ?
             ちがう、ちがう。
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 W杯サッカーを見ていたら、蹴鞠{けまり}を思い出しました。烏帽子{えぼし}をかぶり、カラフルな水干{すいかん}を着て行う、あの蹴鞠です。蹴鞠には勝ち負けがないそうですね。なるべく相手が蹴りやすいように鞠を蹴ってあげ、鞠が長く人の間を回り続けることを楽しんだようです。

 勝敗が暴動にまで発展してしまうサッカーとはなんたる違いでしょう。その優美なことと言ったら……。

 サッカーと蹴鞠を比べるな! と言われれば一言もありませんが、いや、比べてみる時期かもよ? とも思った今日この頃なのでした。

和をもって尊しとなす
きゅうりもおいしいね。



2006.06.05 【雑感】君の名は…… ▲TOPメニュー

 有名マンガ家、赤塚不二夫の代表作といえば『天才バカボン』ですが、読んだ後に心にも残らなければ、頭にも残らない昨今のベストセラー本を『バカ本』と名付けようと思ったのは、この私です。(^_^;



2006.05.29 【雑感】圓生が泣いている ▲TOPメニュー

 落語家、六代目圓生{えんしょう}の『書きかけの自伝』という本を図書館で借りようと、横浜市のインターネット版蔵書検索を使って検索してみたら、以下のような結果が出た。

  書名   :書きかけの自伝
  シリーズ :旺文社文庫
  著者名  :三遊亭生/著
     ……中略……
  個人件名 :三遊亭 円生(6世

圓生の「円」が新字体になっているのは仕方なく許すとしても、「6世」はやめようよ、6世は。どっかの王様みたいだからさ。


落語家

落語もオトシバナシばかりではないし、たくみな話術で多くの人を楽しませる「話芸」と呼ばれるにふさわしいあの芸は、つくづくすごいと思う。だから、本当は落語家と言うより、噺家{はなしか}という言い方の方が私は気に入っている。



2006.05.27 【雑感】1万分の1地図 ▲TOPメニュー
 地図を買うなら1万分の1地図と決めている。もっともこれは、自転車に乗るようになってからの話で、クルマの排気ガスから逃れるために幹線道路をさけて裏道をさぐるようになったからだ。

 10万分の1や5万分の1の道路地図にも裏道は存在する。存在するが、そんなものを信用してうっかりと幹線道路をはずれようものなら手痛い目に合う。地図が大雑把すぎて、実際の風景と地図上の線とが全然つながらないのだ。

 当たり前の話だ。地図の性格が全然違うのだから。10万分の1や5万分の1地図は、クルマでの移動を主な目的として、ある地点からある地点までの幹線道路のつながりを指し示す。だから裏道はお飾りにしかすぎない。それに対して、1万分の1地図では裏道こそがメイン。幹線道路の方がお飾りだ。

 しかるにこんな地図を使用するのは誰なのだろう? 宅配業者か? しかし、住宅地図と違って個人名までは書いていないから、宅配業者が利用するものとしては中途半端だ。

 そう、1万分の1地図とはまったくもって中途半端な地図なのだ。

  1.裏道はたくさん出ているけれど、小道は省かれている。
  2.番地もそこそこ載っているけれど、載っていない番地もある。

 こんな中途半端な地図を「じゃあなぜ使用するのだ?」と聞かれれば、その中途半端さが気に入っているからだと答えねばなるまい。

 1万分の1地図を手に、住所だけがわかっている目的地を訪ねれば、必ず道に迷う。道には迷うのだが、全くの方向違いというわけでもなく、「近所」までは確実に導いてくれる。そう、あと一歩、あと一歩のところで地図は私を冷たく突き放すのだ。

「オレをあんまり頼るんじゃねえよ。あとは自分で探しな。」と。

 この冷たさが、たまらなく好きなのだ。突き放された私は、近所にあるであろう目的地を一軒一軒確認して歩く。あっちの小道、こっちの小道と。そしてついに発見するのだ。「あった! あった! 地図には影も形も載っていないけれど、ほんとにあったんだねぇ。」

 そんなとき、人は有森でなくとも「自分で自分を誉めてあげたい。」気分になるはずだ。この間およそ30分。どんなに発見の難しい場所だとしても、地図はぐるっとひとまわり30分以内で解ける場所までは、確実に私を導いてくれていたのだ。

「ありがとう、1万分の1地図さん。」

お礼を言う私に、地図はウィンクしながらこう答える。

「なっ、だから言っただろ。」

 嘘だと思うならこの週末、1万分の1地図を手にしながら、どこかへ行ってみることを私はお勧めする。



2006.04.24 【雑感】所変われば…… ▲TOPメニュー

 本を読んでいたら、次のような表現にぶつかった。

  「銀座のさるバー」

これは、「銀座のとあるバー」、「サルのいる銀座のバー」どちらの意味なのだろう? まぁ、銀座という地名から推測すれば前者なのだろう。しかし、これが新宿だった場合は、前者より後者の意味合いが俄然強くなる。

  「新宿の猿バー」

 うん、全然おかしくないや。



2006.04.14 【雑感】一文字ちがっても…… ▲TOPメニュー

「ごくろうさまでした。」とねぎらおうとして、

「極道さまでした。」と決めつけてしまい、

 

「いい若者だ。」と褒めてあげようとして、

「いい若者が。」と責めてしまった。

ほんとにごめんよ。



2006.04.04 【雑感】春の珍事 ▲TOPメニュー

 あまりにも天気がいいので、自転車に乗って近所を散歩してみました。「灯台もと暗し」とはよく言ったもので、近所といえども知らない道というのは、けっこうあるものです。

 私はこの「近所だけど探検」という感覚が大好きで、なるべく人の通らない細い道を選びながら、道端の名も知らぬ草花を愛で、満開の桜を愛でしながらのんびりとペダルをこいでいました。「う〜ん、いいお天気。」と空を見上げれば、真っ青な青空。視線を落とせば、そこにはおばあさん……。「えっ、おばあさん? しかも縁側に座って。」慌ててあたりを見まわすと、そこは農家の庭先でした。どうやら、春の景色に見とれるあまり、よそ様のおうちの門をくぐったことに気がつかなかったらしいのです。

「あっ、どうも。」なんてことを、もごもごと口の端で言いながら、私がダッシュで庭先を通り抜けたことは言うまでもありません。私もびっくりしたけれど、おばあさんもさぞやびっくりしたことでしょう。突然、見知らぬ自転車乗りが庭先に入ってきたのですから……。そういえば、びっくりしたおばあさんの口は「ほっ?」と発音しているように見えました。

 まぁ、春の珍事と許してたもれ。(^o^)



2006.03.27 【思い出】ちくしょう騒動 ▲TOPメニュー

 学校から帰ると居間にいた兄が、

「おい、ちくしょうって知ってるか?」と唐突に私に聞いた。

「ちくしょうって、怒ったときに言うあのちくしょう?」

と逆に私が尋ねると、兄は「ば〜か、お前に用はない。」という態度を露骨に示すと、今度は居間に入ってきた母に

「学校の先生に調べてくるように言われたんだけどさ、お母さん、ちくしょうって知ってる?」と聞いた。母は

「ちくしょう? 知らないわねぇ。」

と一応考える振りだけして(母はいつだってそうだ。)、夕飯の支度をしに台所へ行ってしまった。

 助けを失った兄は自力で調べにかかった。

「ええっと、ちくしょう、ちくしょうと。」

とぶつぶつつぶやきながら、夕飯までずっと辞書を引いたり、百科辞典を開いたりして部屋の中をうろうろしていた。

 やがて父が帰宅し、食卓に着いた。待ってましたとばかりに兄は、いただきますもそこそこに

「お父さん、ちくしょうって知ってる?」と父に聞いた。

「ちくしょう? なんだそりゃ?」
「知らないの? 学校の先生に調べてくるように言われたんだよ。」
「学校の先生はなんて言ってた?」
「なんにも言わないよ。だから、一生懸命調べてるんじゃん。」
「ちくしょうだけじゃ、わからんなぁ。」

 家族の中で一番物知りである(とされている)父がこの有様である。兄は最後の頼みの綱が切れかかっていることを知り、半べそ状態。それでも、何か思いついたのであろう、明るい声で元気よくこう言い放った。

「あっ、そうだ。ちくしょうはお寺にあるって、先生が言ってた。」

 お寺にあるちくしょう

わかったところで、謎は深まるばかりである。その間一同の手はとまったまま、夕飯には一箸もつけていない。

 ここで母がキレた。

「この子はさっきから、何をちくしょう、ちくしょう言ってるんでしょうね。ちくしょう、ちくしょう言ってないで早く食べなさいっ!」

 母の命令は絶対である。これで兄の疑問はお開きとなり、兄は半べそ状態のままご飯をかきこんだ。

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 怒ってもそこは母。翌日、母と私は兄の宿題の顛末が知りたくて、居間で兄の帰宅を首を長くして待っていた。そこへ兄が帰宅。

「お兄ちゃん、宿題どうだった?」と私が聞くと、兄は

「あっ、あれね、“ちくしょう”じゃなくて、“ろくしょう(緑青)”だった。お寺の屋根って銅で葺{ふ}いてあるだろう? その銅につく錆{さび}だってさ。」

とのたまうと、ふふふ〜んという軽やかな足取りで2階へと上がっていった。

 残された母と私は、あまりの結末に呆然とした。

  父を心配させたあのちくしょうは、どこへいったのだ?
  母の怒りを買ったあのちくしょうは、今頃何をしているのだ?
  私に無い知恵を絞らせたあのちくしょうは……。

 ちくしょう、カムバ〜ックである。



2006.03.22 【雑感】どっちをパパラッチ? ▲TOPメニュー

「ヨン様と小泉さん、どっちが好き?」と聞かれたら、

  すかさず、「ヨン様」と答えるが、

「ヨン様と小泉さん、どっちをパパラッチしたい?」と聞かれたら、

  2秒ためらった後に、「小泉さん」と答えたい。

 だって、ヨン様は直接私の生活に影響を与える人ではないが、小泉さんは与えるじゃん。



2006.03.07 【雑感】表層面だけ伝えても…… ▲TOPメニュー

 数年前のインターネットニュースで、オーストラリアのクインズランド大学コアラ研究センターにおいて“双子のコアラ”が生まれたことを伝える記事を目にした私の読後感が、

「よかったですね。私にはコアラは全部双子に見えますが……。だってコアラじゃん。」

というものだったので、今回の主要3会派が出した費用弁償に関連する条例改正議案にも

「甘いですね。どこをどういじっくても私には会議出席手当にしか見えませんが……。だって費用削減の横浜じゃん。」

という感想しかない。



2006.03.01 【思い出】追憶にまた思う ▲TOPメニュー

 私の母の兄である“じろちゃんおじちゃん”の右手には、親指と小指を残してその他の指がない。つまり、おじちゃんの右手は2本指ということだ。もちろん、おじちゃんはごくふつーのおじちゃんなので、3回の不義理の結果、指を3本つめられたというわけではない。

 母方の実家では自動車工場を営んでおり、おじちゃんは幼い時に、整備中のフル回転するオートバイのチェーンの中に、好奇心から指を突っ込んでしまい、その結果の2本指なのである。

 しかし、人間の不思議というか、たくましさというか、家族中、いや、親戚中で一番の達筆者が、この2本指のおじちゃんだった。だから、祝儀、不祝儀を問わず、何かしら流麗な字が必要になると、みな、このおじちゃんのところへやってきてこう言うのだ。

「すまないけど、次郎さん、一筆頼むよ。」

 頼まれたおじちゃんは、親指と小指でゆったりと筆を持つと、流麗かつ大胆な字をさらさらと封筒に書きつけてゆく。おじちゃんの隣にちょこんと座り、これを見ていた幼稚園児の私も「おじちゃんって、指ないけど、すごいな。」と思ったものだ。

 そんな“達筆なじろちゃんおじちゃん”も、もうこの世にはいない。2本指を自慢にこそすれ、苦にした様子は一度も見せなかったおじちゃん。それでも、指を失った時はさぞかし痛かったろう。

 でもね、一番痛かったのは指を失った息子を毎日見つづけ、それでもなお生活のために息子が指を失ったその現場で、フル回転するチェーンと対峙しなければならなかったおじちゃんの父、つまり、私のおじーちゃんだったのではないかと四十過ぎた私は思うのであった。

 しかし、それも今となっては“古きよき時代”のお話。世の中の流れ、横浜の市政を観ていると、美しい話にまとめようもないほどの生活が、この先待っているような、いや、すでに展開されてはいても、それらが語られることは少ないのであろうと四十そこそこの私が、また思うのであった。



2006.02.20 【小話】笑っちゃだめよ ▲TOPメニュー

ウェイトレスの若い女の子がやってきて、

  「赤ワインと白ワイン、どちらになさいますか?」と聞くから、

  「赤ワイン。」と答えたら、「ございません。」 だって。

 

  「じゃあ、聞かないでね。」と私は小声でちゃんと抗議してあげました。



2005.02.16 【自転車のすすめ その5】地名と地形が骨身に沁みる
 

 私が住んでいる町の名前には「谷」という文字が付く。谷というからには谷なのであって、つまり、両側を山で挟まれているということである。北および南に向かうときには苦労はない。谷づたいに走ることになり、平坦な道が続くからだ。しかし、西および東をめざすときには苦労する。目的地へ向かうためにはどうしても山を一つ越さなければならないのだ。

 山といってもそこは現代。草木の生い茂るこんもりとした山が目の前にあるわけではなく、あるのはアスファルトで固められた灰色の道と、その両側に建ち並ぶマンションと民家。しかし、それでも自転車に乗った者には、これはまぎれもなく山だ。なぜなら、目の前に広がるその道が坂道であるからだ。それもかなり勾配のきつい。

 この坂を目の前にして、いつも私は「どうしよう?」と思ってしまう。かなり遠回りではあるが、山を迂回する平坦なコースがもう一つあるのだ。

 遠いいけど平坦、近いけど坂道。この結局どちらが得なのか全然わからないコースどりで迷ってしまうのだ。

 そう思案する私の横を車がブオー、ブオーと通り過ぎてゆく。(ここが山であることなど、おそらくドライバーは誰一人認識してはいるまい。)

 この究極の選択は、最終的には私の体調でもって決まる。「まっ、今日は体調もいいから、やっぱり山を越えていきましょ。」という具合である。

 やっとこさとペダルをこぎだし、全身の体重を左右の足にかけ、えっちらおっちら、えっちらおっちらとゆっくりゆっくりペダルをこいでいると、なぜか昔に思いが馳せる。

「昔の人は大変だったろうなぁ。道なんか細くってさぁ。石とかじゃりがごろごろしてんの。そういう山道を背中に薪{たきぎ}とかしょってさ、きっと隣村まで行ってたんだよ。」

「『おらぁ、今日は体調がいいから山越えていくだ。』っていうおじいさんがいれば、『あたしゃ、山越えていく元気はねぇだ。今日は谷沿いにいくだよ。』っていうおばあさんもいてさ。」

なんてことをつらつら考えながら必死になってこぐ自転車は、苦しいけれど楽しい。

上記のような経験を積んでゆくと『私は谷に住んでいる。』という身体{からだ}が確認するアイデンティティーのようなものが身につきます。「だからどうした?」って言われると困るんですけどね。まぁ郷土愛のようなものでしょうか。



2006.02.12 【小話】つながりがあるような、ないような ▲TOPメニュー

 数年前、「来年の干支{えと}はなんだっけ?」と問う私に連れ合いはこう言った。

「ねー、うし、とら、うー、たつ、みーだろ? だからねずみじゃん。」

“だから”ねずみなのか?

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 全米並びに日本で大人気の「スターウォーズ」。あるがままに直訳すると、

「宇宙で大戦争」。

一応評議会もあるでよ。



2006.02.07 【雑感】私の気をそぐもの

 私の気をそぐものに四万六千日(しまんろくせんにち)がある。これは、7月10日に観音様に詣ると四万六千日(126年)毎日参詣したと同じ功徳がありますよという縁日で、功徳大ボーナス日のことである。

 落語にもたびたび登場するぐらいだから、江戸時代あたりからの風習らしい。まったくもって「なんだかなぁ。」な風習である。

 これと似たものに「ラストチャンス」がある。テレビのクイズ番組でしめくくりを盛り上げようと司会者が声高に叫ぶあれだ。

「ラストチャ〜ンス! 正解者には300点差し上げます。どのチームにも逆転のチャンスがありますから、みなさんがんばってください。」

がんばるも何も、あ〜た、今までの得点はなんだったのさ。てなもんである。

 これはどちらも「地道に努力してきた者」をナメてかかっている。また、それを知った上で、「まぁ、まぁ、そうカタイこと言わずに、じゃんじゃん盛り上がりましょうよ。(とかくこの世はまじめに努力してきた人が損するようになってんだからさ。ねっ、ねっ。)」といった感じの盛り上がり至上主義的な軽薄さがぷんぷんと匂ってどうにもやりきれない。

 しかもだ。こんな不躾で軽薄な風習が江戸時代から現代まで脈々と受け継がれているかと思うと……。

 なんだお先真っ暗か?



2005.12.26 【雑感】ラー油を片手に考えたこと

 スーパーを出たところでラー油を買い忘れたことに気がついた。ラー油を探し、再びレジに並ぶ。勤め人の帰宅時間と重なったためかレジは大混雑。20分ほど待たされた後に、やっとラー油一瓶が買えた。

 こういう思いをするたびに、数年前のアメリカ旅行の際に見た「特急レジ」が欲しくなる。「特急レジ」というのは、購入品目が5品以下の人専用のレジで、子供がガムを1個買ったり、おとうちゃんがビールを1缶買ったり、私のように買い忘れたものを購入する場合には待たされずに済むので、誠に便利なのだ。

 旅行から帰って地元のスーパーに、この「特急レジ」の導入を提案してみたが、採用されなかった。日本には向かない何か特別な理由があったのだろうか?

 そういえば、「あつかましいおばちゃま」というのは、どこの国にもいるもので、あちらでもカートに品物を満載したおばちゃまが空いていることをいいことに、このレジに並んで店員さんにネコのようにシッシッと追い払われていた。

 こういう毅然とした態度を取る店員さんが少なくなった日本では、やはり「特急レジ」の導入というのは難しいのだろうか? しかし、毅然とした態度が取れるということは、毅然とした態度を支持する目が数多くあるということで、まずは自分がその支持する目の一つにならなけりゃいかんなぁ……。

てなことを待たされた20分間、ラー油を片手に私は考えた。

 市政チェック、来年も地道にがんばろうっと。



2005.11.10 【自転車のすすめ その4】よみがえる標語
 

 ペダルをこぐ私の背後から『ビビビー、ビビビー』っと、けたたましいクラクションの音が鳴り響いた。「またか。」と私は思う。このクラクションの鳴らし方は「追い抜くからね、気をつけてね。」という優しいメッセージのクラクションではない。

「じゃまだ、どけ、どけ、どけ!」という悪意に満ちたクラクションである。そんなことを言われても、こっちはすでに遠慮して道路の端をぎりぎりに走っているのだ。よける余地などどこにもない。

 ここは対向車とすれ違うこともできないほどの狭い道。片側に商店が並び、もう片側には学校がある。もちろんスクールゾーン。しかし、俗に言う「抜け道」にあたるらしく、クルマの往来は激しい。

「よける余地なんてどこにもないの。ここは生活道路なんだから、止まるならお前さんの方でしょ。」と強気にペダルをこいでいると、さらに語気を強めたクラクションが鳴り響く。『ビィービビビビビィー。』

 ここら辺で私の神経は、ぶち切れる。バックミラーの一つも蹴倒して逃げてやろうかとも思う。しかし、しょせんは自転車、クルマと勝負したところで勝ち目はないのだ。

 不本意ながらも自転車を止めた私の横を、『ぶお〜っ』と排気音をたてながらクルマは悠然と通りすぎていった。そのいばりくさった態度がまた気に入らない。「礼の一つも言えってんだ。」

 やり場のない怒りをかかえたまま、私はふたたび自転車にまたがる。はらわたは、煮え繰り返り、ふつふつと音をたてている。「ちきしょ〜。なに様だと思ってんだ。べらぼうめ。」それでも、クルクルクルとペダルをこぎ、サラサラサラと風に吹かれていると、怒りもおさまってくるから不思議だ。(一定のリズムが心を鎮めるに違いない。)

 思えば私も、つい最近までこの道をクルマで走っていたのだ。通勤時間を5分短縮するために。クラクションこそ鳴らしはしなかったけれど、歩行者や自転車をじゃまだと思ったことは数知れない。それにしても……。

速くてラクだからクルマに乗り、
より早くをめざして抜け道を使い、
もはやアクセルをゆるめることさえ厭{いと}う。

 人間の欲望というのは、ほんとにとどまることを知らないようだ。そのとどまることを知らない欲望を抱き続けることを「善なり」とする、わが国ニッポン。懐かしくも、けっこう意味深な標語が今よみがえる。

『せまい日本、そんなに急いでどこへ行く』。



2005.10.04 【自転車のすすめ その3】
         サドルからの視点 〜日本の歩道は走りにくい〜
 

 最近、「自転車通行可」という歩道が増えてきた。一見、自転車に優しそうに見えるこのルールだが、実はこれがスポーツバイク泣かせなのである。

 スポーツバイクには衝撃を吸収するための装置(サスペンションなど)が一切ない。路面からの衝撃を吸収してくれる衝撃吸収装置というのは、逆に自分の出した力を吸い取ってしまう装置でもあるため、人間の限りある力を100%有効に活用する必要のある自転車(スポーツバイク)には、あえてつけなかったともいえる。

 その徹底ぶりは見事なもので、ママチャリには当たり前のサドル下のスプリングさえ付いていない。で、この自転車で歩道を走るとどうなるか……。ガン、ガーン、ガン、ガーンと衝撃の連続なのである。

 まずは、車道から歩道への乗り上げ部分。あの段差でガン、ガーン。ひどいところだと段差が20cm以上。自転車ごと前転なんていうのも夢じゃあない。

 次に水道工事かガス管工事だか知らないが、この工事跡を埋めたアスファルトてんこもりの山でガン、ガーン。車道はきれいに仕上げるくせに、どうして歩道はこう仕上げが雑なんでしょうね。おかげで30cm以上は飛んだな。

 ジャンプの後は、ジェットコースター。車道へと出る車のために歩道を凹型に繰り抜いてスロープが切ってある。ここを下っちゃ、上り、下っちゃ、上り。ああ気持ちわるっ。

 さらに店先に出されたカンバンの太いコードでガン、ガ〜ン。突然口を開けた穴にはまって、ガン、ガ〜ン。波打った歩道にガン、ガ〜ン。

 これを数百回、いや数千回繰り返すと目的地に着く。はっきり言って脳しんとう寸前である。サスペンションがわりに使った、ひじやひざ、手首の関節も痛い。歩行者や障害物に気を使ったので、気持ちもへろへろ。

 ツーリング自体は、これっぽっちも楽しくない。それでも自転車が楽しいと思ったのは、これまで見えなかったものを見せてくれたからだ。

 実際、自転車(スポーツバイク)に乗るまで、日本の歩道がこんなにひどいものだとは思わなかった。これでは、車イス、お年寄りは大変だろう。自分がいつまでも若くないことを思えば、これは明日の私の問題でもある。

 そんなことを教えてくれた、自転車はやっぱり楽しい。


   ※1 最近は、サスペンション付きのスポーツバイクもあります。
   ※2 こんな経験が政治に興味をもつきっかけになりました。



2005.10.08 【思い出】希望する不等式

 『びっちゃけてる』『ぐじゅってる』という言葉をご存知だろうか?

 私はこれを小学校の担任の先生から伝授された。雨が降った翌日など、先生は窓から校庭の様子を眺め、

「今日は運動場がびっちゃけてるから、体育は中止!」

 または、

「今日は運動場がぐじゅってるから、体育は中止!」

 と、叫ばれるのである。

 初めて聞いたときには、「びっちゃけてる?」、「ぐじゅってる?」とクラス中大騒ぎになったが、確かに校庭は「ぬかるんでいる」という生ぬるい表現を通り越して、まさに「びっちゃけてる」という状態であった。

 しかし、びっちゃけていたのは校庭だけではなかった。校庭以上に、この先生自身が、びっちゃけていたのである。


 【びっちゃけ その1】 授業中にセロハンテープを食べる

 「はい、それじゃあ問題1を解いて!」とみんなに言い渡すと、何が楽しいのか先生はニヤニヤと笑いながら教卓につき、手近にあったセロハンテープをおもむろに引き伸ばすと、それをまるめる。「どうするのかな?」とこちらが、問題を解くふりをしながら眺めていると、なんとそれを食べてしまうのであった。(>_<)


 【びっちゃけ その2】 授業時間を忘れる

 この先生、昼休みには必ず寝た。5時間目の始業チャイムが鳴っても気づかないほど寝た。時々起きては「チャイム鳴ったか? チャイム鳴ったか?」と生徒に聞く。遊びざかりの生徒は当然「鳴ってな〜い。」とウソをつく。こうして、われわれの昼休みは永遠と続くのであった。v(^ー^)v


 【びっちゃけ その3】 究極を知らない忘れ方

 この先生は授業時間を忘れただけでなく、運動会の日を忘れた。


 【びっちゃけ その4】 ここは横浜

「せんせ〜い、目にゴミが入ったので保健室に行ってきま〜す。」と報告する女の子の顔を、先生はわしづかみにすると、そのゴミを舐め取ろうとした。(「きゃ〜。」という悲鳴をクラス中の女子が上げたので、さすがにやめたっけ。先生の名誉のために付け加えておくと、目のゴミなぞ先生の田舎ではこうして取るのが普通らしい。)


 以上のように、惨憺たるびっちゃけ具合である。今ならば、その存在自体が問われるところであるが、当時は「あの先生で大丈夫かしら?」という声が父母の間からちらほらと上がるものの、それが「担任を代えろ!」だの「辞めさせろ!」だのに発展することはなかった。

 そんな「びっちゃけ」を許す、幸福な時代に生きられたことを私は感謝している。「普通」ばかりでは人生はつまらない。「びっちゃけ」こそが人生のスパイスだ。ただし、私の希望する不等式はこうだ。

『普通 > びっちゃけ』

 びっちゃけだらけでは、そりゃ困る。



2005.10.01 【自転車のすすめ その2】自転車の選び方
 

 ウィンドウズにマッキントッシュ。インターネットエクスプローラーにネットスケープ。古くはVHSにベータ。2大勢力というのは、かくも存在しやすいものなのだろうか?

 ママチャリで自転車の楽しさに目覚め、そろそろ本格的なバイク(自転車)が欲しくなってきた私は、少し自転車について調べてみた。すると、やっぱり自転車界にも2大勢力が存在するのである。(2大勢力というよりは、「流行」と言ったほうが正しいのでしょうが……。)

 現在の自転車界における2大勢力は、(みなさんすでにご存知の、あの)「マウンテンバイク」と「ロードバイク」です。それでは、この2つについてちょっとご説明をば。


【マウンテンバイク】

山道やじゃり道など荒れた路面を走ることを前提に作られたバイク。路面とのグリップをよくするために太くて凹凸のあるゴツゴツしたタイヤを装着する。ハンドルは操作性のよいバーハンドル(直線)。タイヤが太い分パンクはしにくいが、スピードが出ない。


【ロードバイク】

舗装路をいかに速く走るかを目的に作られたバイク。タイヤは路面との摩擦力を少なくするために細い。また、距離をかせぐために直径が大きい。前傾姿勢がとれるように、ハンドルはドロップハンドル(ヤギの角みたいな形)。タイヤが細いためパンクしやすい。(と言われている。)


で、わたしの目的はといえば、ずばりサイクリング。どちらのバイクにも当てはまらないのである。「あ〜あ、昔は『サイクリング車』というのが主流だったのになぁ。」と嘆いてみてもはじまらない。この『サイクリング車』、今や存在しないばかりか自転車界では「死語」であるらしい。

 「どうするべ。」と悩んでいると、数は少ないながらも「クロスバイク」という自転車が存在することをキャッチ。


【クロスバイク】

名前の通り、「マウンテンバイク」と「ロードバイク」のちょうど中間に位置するバイク。舗装路や山道で最高の威力を発揮することはできないけれど、どちらもそこそこ走れますよ。といった、一粒で二度おいしいバイク。


 「入門書」には、その性能ゆえ、「中途半端なバイク」と紹介されていたが、私は迷わず、この「クロスバイク」を購入することに決めた。

 結果は大正解。凹凸こそないけれど、タイヤが太いのでじゃり道なども安心して走れるし、タイヤの直径が大きいので、ひとこぎするだけですす〜いと前に進む。ほほ〜い。である。

 以上の経験をふまえ、入門者には「クロスバイク」をお勧めします。まっ、日本一周をママチャリで果たした人もいるくらいだから、「根性」さえあれば、なんでもいいんですけどね。f^^;)

 ※価格的には10万前後のものを買っておけば間違いないみたいです。



2005.09.12 【自転車のすすめ その1】きっかけはママチャリ
 

 自転車・バイクを過去に6回も盗まれ、「もう二度と自転車なんか買うもんかっ!」と固く心に誓ったものの駅から歩いて30分というところに自宅があるので、どうしてもバス利用ということになります。しか〜し、このバスが高い! 片道210円、往復で420円ですぞ。スーパーでいっしょうけんめい安売り品を買い求め、10円、20円と節約したところでバスを使えばチャラ。

「それなら歩いてみるか。」ということで駅まで歩いてみたものの、変わり映えのしない風景の中を車の排気ガスを吸いながら往復1時間歩くというのはかなりつらいものがあります。しかも帰りは重い荷物を両手に下げなければならない。

「やっぱり自転車だな。」と悪魔が私にささやき、私は過去の痛い思いも忘れて、頑丈なカギと自転車をそそくさと購入してしまったのでした。しかもちょっと奮発して3段変速。

 それから数日後、「せっかく自転車を買ったんですもの、ちょっと遠回りだけど川沿いに走って駅まで行ってみようかな。」と思い立ち、いざ河原へ。

 アスファルトで固められた道路から河原道へとこぎだせば、ガタゴト、ガタゴトと小石を跳ね上げながら進む自転車のこの感覚がすごくなつかしい。お尻がサドルの上で軽くポンポンと跳ねる。そうそう、こんな感じ、こんな感じ。幼い頃の記憶が軽いリズムとともによみがえる。

 川面を渡る風はさわやか。「暑いからなぁ。買い物に行こうかな、どうしようかな。」と部屋でうだうだしていたのが嘘みたいだ。

 土手では高校生が3人、仰向けに寝転んでただ静かに青空を見上げている。(こんなに健全な青年たちもまだいたんだ。)「ほっほっほっ。」と軽い息を吐きながらジョギングをするおじいさんとは、すれ違うときに会釈を交わした。

 と、橋の下からなにやらたなびく薄煙。「?」と思っていると、これが七輪にのっかったサンマ。思わず漏らした「おいしそう。」の言葉にビールを片手にいい感じに出来上がったおじさんたちが、「今晩のおかずにどう? 安くしとくよ!」と軽いジョーク。それを背中で聞きながら、私はなおもペダルを踏む。

 河川敷では真っ白いユニフォームを着た少年たちが野球の練習をしている。それを仲良く背中を並べてながめるおばさんと犬。こんないい風景が、ペダルをこぐたびに次から次へと展開されるのだからたまらない。

 そう、これが私が自転車にはまった理由です。



2005.09.12 【雑感】塩をなめてはいけない ▲目次 ▲TOPメニュー

 先日、焼き鳥がおいしいと評判のお店に行った。店に着くと早々に焼き鳥を注文し、お味を確かめてみる。一口目を食べる。「おいしい!」と口に出すのももどかしいほど、おいしい。おいしさが全身を駆け巡った。「このおいしさはなんだろう? 地鶏だからかな?」と考えながら二口目。やっぱりおいしい。“おいしさ”とは常に言葉よりも先を行くものであることをこのとき知った。

 しかし、地鶏、備長炭と焼き鳥の王道を行くお店であるにはしても、このおいしさは尋常ではない。「なんだ、なんだ、何か他にもあるぞっ。」と考えながら隠し味をさぐるべく、口をもぐもぐ、もぐもぐ、もぐもぐ……。「あっ!」と思った瞬間に「塩だっ!」と気づいた。

 塩がおいしいのである。素材を吟味した焼き鳥も確かにおいしい。確かにおいしいが、この味を引き立てているのは塩である。まさかあの塩が味に対してこんな大きな役割を果たすとは思わなかったので、「ははぁ、あなた様をあなどりまして誠に申し訳ありませんでした。私がこれまで口にしてきた塩は『塩にあって塩にあらず』でございました。」と塩にむかって平伏したい気持になった。

 そういえば「塩を肴に酒を飲む」という言葉がある。ここでいう塩は、普段私たちが目にする“食卓塩”なぞでは決してなく、こういう塩を指してのことだったのだな。と思うと同時に、頭だけで理解していた言葉がやっと自分の言葉になったような気がした。主役を食うほどの実力を持ちながらも、決して目立たず、脇役に徹するこの“うまみ”。これはまさに極上の酒の肴に違いない。

 その塩が、焼き鳥の表面に浮き立つ黄金色をした肉汁に溶け込んでいるのだ。まずいわけがない。

 たかが塩、されど塩。塩をなめてはいけないな。と私は思った。



2005.09.06 【雑感】納豆の糸のゆくへ ▲目次 ▲TOPメニュー

 納豆は、大好きだ。ひさしぶりに食べたりすると、「こんなにおいしいものをなぜ毎日食べなかったのか。」と後悔するほどおいしい。

 しかし、あの糸がいけない。フタを開けたとたん、ニョロ〜と笑いながら、数々の糸が「こんにちは」をする。こちらも笑って「こんにちは。ひさしぶりだね。」と返す余裕があればよいのだが、冗談じゃあない! こんなに臭くてねばっこいものが、どこかにくっついたさまを想像してごらんなさい。(例えば床に落ちて、それを踏みつけたとかね。)とても私には耐えられない。

 なので、フタを開けたときから、戦闘開始である。私は、納豆の糸処理兵と化すのだ。納豆の糸を処理するには、からめとるのが一番である。フタを開けたらクルクルクルと、糸が切れるまでお箸に巻きつける。糸が切れたところを見計らって、器に移す。しかし、納豆は、お行儀良く移ってなんかくれない。パックから器へビヨ〜んと伸びた糸どもを、またクルクルクルとお箸でからめとる。(しっかし、こんなに自分の意志を持たない食べ物もめずらしいぞっ。)

 器に入れてしまえば、床にボトッ。なんていう最悪の事態は、まぬがれるので、少し余裕をもって、タレ、カラシ、ネギ、そしてネバネバ中和剤としての玉子を入れて、食卓に出す。

 後は、おいしく食べるだけ。なんて思ったら、あま〜い。ここからが、戦闘最前線である。なぜならば、納豆の糸の行方などこれっぽっちも気にしない「つれあい」がいるからである。

 つれあいは、テレビを見ながら大量の納豆を口に運ぶ。箸からあふれた納豆がつつつ〜と、糸を引いて宙ぶらりんになる。「おおっ〜、こっ、こっ、こぼれるっ!」と、思った瞬間にパクッ。それは、それは見事である。

 見事ではあるが、つれあいが納豆に箸をつけるたびに、その納豆の糸の行方を見届けずにはいられない。自分の納豆の糸の行方も気にしながらなので、かなりの重労働である。

 ふうっ。おいしいけれど、こんなに疲れる食べ物を、私は他に知らない。



2005.08.29 【私のこだわり】 A4レターケース ▲目次 ▲TOPメニュー

 物を整理するならA4レターケース。箱整理法、A4封筒整理法(そんな整理法あったか?)と数々の整理法を試してきた私が行きついた究極の整理法なのだから間違いない。


【大きさが揃う】

 A4のレターケースは、うれしいことにどこのメーカーのものを買っても大きさはほぼ同じ。だから、ひとつのメーカーにこだわる必要もないし、品切れの心配もない。この安定供給は、ポイントが高い。


【引き出し式が一番】

 物を整理するには、ワンアクションですべてのものが見渡せる引出し式が一番。奥の方にある物もすぐに取り出せる。


【しかも浅型】

 整理整頓で一番大事なのは「分類すること」。いっぱい入りそうだからと、つい大きな収納用具を買ってしまいがちだが「いっぱい入る」ということは、「分類しないまま入ってしまう」ということでもある。一見便利なようだけれど、後で困ったことになるのは誰もが経験済み。そこで、発想の転換。最初から「分類しないと入らない」A4レターケースのような浅型の入れ物を使えばいいのだ。


【思ったよりもたくさん入る】

 分類しないと入らないけれど、分類すると思ったよりもよく入るのがレターケース。それには少しコツがあって、薬などは外箱から出して小さな透明の袋に入れてしまうのだ。(これも「生活便利袋」という名前で文房具店などで売ってます。開閉に便利なジッパー付。)今回、家中の薬がすべてひとつの引き出しに入ってしまい、あら、びっくり。


【補足:大きな物でも大丈夫】

 ふつうのレターケースには、浅型の引き出しが5つ付いていますが、メーカーによっては浅型の引き出し3つに深型の引き出しが1つ付いているものもあります。穴あけパンチのように大きなものは、この深型の引き出しに入れるといいでしょう。レタケース自体の大きさは変わらないので、重ね置きももちろんOK!



2005.08.26 【私のこだわり】 本 ▲目次 ▲TOPメニュー

【単行本よりは文庫本】
1. なんと言っても安い。文句がある人はかかってきなさい。(^o^)
2.

単行本だと版形が微妙に違っていたりするが、文庫本は、さすが文庫本サイズと名乗るだけのことはある。きっちりと気持ち良く本棚に収まってくれる。また、文庫本だと作者ごとに背表紙の色が揃うのがうれしい。(出版社が違っちゃうとダメだけど......。)

ずらっ〜と、きれいに文庫本が並んだ姿は、もはや芸術品と言っても過言ではない。うん、美しい。


【本屋さんでのカバーかけは断固断る】
1. お弁当箱のふたで中身をかくしてお弁当を食べているような気がして、なんだか落ち着かない。なので、本屋さんでのカバーかけは、断固として断る。環境にもいくぶんかこちらの方がやさしいだろうし。
2.

文庫本といえどもそれなりの装丁はされているはずだ。それを無粋な茶色い紙で覆ってしまうのは、デザインを手がけた人に申し訳ない。

3. 読んでいる本を通して新たなる出会いが、電車やバスの中で生まれる可能性もないとはいえない。そういう可能性は、できるだけ残しておきたい。
4. 退屈な電車の中で「ひゃ〜、あのおじさん、あんな顔して恋愛小説読んでるよ。」とか「ほへ〜、この子、こんなに茶色い髪して純文学読んでるよ。」と考えるのは、なかなかに楽しいものである。そういう時間つぶしの対象に自分がなるのも悪くはない。

【表紙はホチキスで止める】
1.

表紙が本体からはずれてしまうのが、どうにもこうにもがまんできない。表紙が気になって、中身に集中できないのだ。なので、購入した文庫本は、家に帰ってから本体と表紙をパシッ、バシッとホチキスで止める。おお、気持ちいい。

しかし、文庫本でも初版本はそれなりの価値があるらしい。なので、初版本のときには少しだけ躊躇する。なんて気が小さいんざましょ。


【できるなら新潮文庫で揃えたい】
1.

新潮文庫にはしおり用の「ヒモ」がついている。これは並み居る出版社をおさえてポイントが高い。紙のしおりだと、読んでいるときのしおりの処理に困ってしまうのだ。

でも、天地がきれいに切り揃えられている文春文庫も捨てがたいと思う。

 おっと、なんだかマニアックな話になってきてしまった。なので、ここらへんでおしまい。



2005.08.25 【読書日記】 『ソロモンの指環』 ▲目次 ▲TOPメニュー


 過去数日“親知らず”に悩まされた時に、ぼっーとしていてもただ痛いだけなので、本でも読むかと手に取ったのが『ソロモンの指環』。かなり有名なのでご存知の方も多いでしょう。動物行動学について書かれた本です。

「歯が痛いときの動物行動学」。なんだかますます歯が痛くなりそうな気もしますが、なかなかどうして、しばし痛みを忘れさせてくれるほどおもしろい本でした。

 著者はコンラート・ローレンツ。ノーベル生理学医学賞を受けた人なのですが、学者さんが書いたとは思えないほど平易かつユーモアに溢れる文章で(しかも格調高い!)私たちを動物行動学へと導いてくれます。

 鳥のヒナが、生まれて初めて見た動くものを自分の親だと思い込む、あの「すりこみ」を発見したのもローレンツです。そのいきさつが、この本の中で語られています。

 そして、ローレンツがペットとして推奨するのは、ゴールデンハムスターだそうです。その理由については……。まぁ、この本を読んでくだされ。

    『ソロモンの指環』
      コンラート・ローレンツ / 日高 敏隆[訳]
      ハヤカワ文庫 580円

  ※日高 敏隆さんの訳もすばらしいです。



2005.08.24 【思い出】 無尽蔵 ▲目次 ▲TOPメニュー

 母は玄関に上がるやいなや、「○○、××!」と兄と私の名を呼んだ。

 私たちは何事かと、どどどっと階段を駆け下りてゆく。そこには、某有名デパートの紙袋を両手に下げ、満面の笑みをたたえた母がいた。

「おかあさんねぇ、すごくいい買い物してきちゃった。なんだと思う?」

「チョコ!」「お肉!」「みかん!」「おせんべい!」と私たちは思いつくままに口にしてみる。

 それを遮るようにして、母は信じがたい言葉を吐いた。「あ・お・の・り!」

 どうやら二つの紙袋には青海苔の缶がぎっしりと詰まっているらしい。

「一缶50円だったのよ。売り場のおじさんがね、地震のときにもいいって言うから50缶買ってきたの。」

「また騙されたな。」と子供心に思った。頭のいい兄は、それを上手に表現する。「でもさぁ、そんなもの食べてたらノドが渇いてしょうがないよ。」

 母は一瞬ひるんだが、「いいの、いいの。」と言いながら青海苔をかかえて茶の間へと入っていった。

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 青海苔は、その日の夕食に早速登場した。商品名も書いてなければ、メーカー名も入っていない、全面柿色をした見るからにあやしいヤツである。

 とりあえずご飯にふって食べてみる。おいしくない。味噌汁に入れて飲んでみる。これまたおいしくない。漬物にふり、おかずにもふって食べてみたが、しょせんは青海苔の悲しさよ。口の中にやたらとはりつくだけで、どれもおいしくないのである。おいしくないだけならまだいいが、気がつけば、すべてが緑色になり、おどろおどろしい食卓となっていた。

 それを見て急に怖くなった。さらに怖かったのは、どれくらい減っているだろうかと父が青海苔の缶を開けて確かめてみたときである。不思議なことに青海苔は少しも減った形跡を見せず、その緑色を缶の口いっぱいに広げていた。

「こういうのをな、“無尽蔵”というんだぞ。」と父は兄と私に教えてくれた。

 しかし、初めて耳にするその言葉の響きはさらに私の恐怖を増幅させた。緑色の粉をつぎからつぎへと吐き出し、やがては私たちをも飲み込んでしまう“むじんぞう”という妖怪を思い起こさせたのだ。

 当然のごとく、翌日からは誰も青海苔を食べなくなった。ただ一人、母だけが責任を感じてか、山盛りの青海苔にお湯を注ぎ、しょうゆを数滴たらして“青海苔汁”を飲んでいたが、私は母に“むじんぞう”の呪いがかかりはしないかと本気で心配した。しかし、幸いなことに母の努力も3日と続かず、“むじんぞう”は忘れ去られていった。

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 あれほど恐ろしかった“むじんぞう”ではあるが、その最期はあっけなかった。2ヶ月ほどして父が思い出したように“むじんぞう”を振ってみたが、ちっとも出てこない。フタをとって中を見てみると、妖怪“むじんぞう”は無残にも缶の底で固まったままお亡くなりになっていた。どうやら、天敵の“しっけ”にやられたらしい。父は物を捨てる人ではないが、このときばかりはなんの躊躇もなく、それをごみ箱に捨てた。

 その日の午後、棚の中に眠っていた49缶の“むじんぞう”を今度は母が捨てた。



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